仕草のウソ
女っぽい仕草は"頭"でつくる。
もう10年も前の映画だが『白いドレスの女』のキャスリーン・ターナーは、当時私のまわりの女たちの間で、ちょっとしたセンセーションを巻き起こしていた。
女でありながら、同じ女にゾクゾクするという生まれて初めての体験に遭遇したからである。
アレ、すごくなかった?
ウンすごかったという、男並みの会話がかわされた。
確かに彼女は、脚のキレイなことは有名だが、別に脱ぐわけでもないし、体そのものがどうというのでもない。
ただただ、仕草がゾクゾクものだったのだ。
私たちが色めきたったもうひとつの理由は、彼女が決して美人じゃなかったこと。
10年前と言えば、私自身、女というものをひどく単純に見ていて、美人じゃない女に宿る魅力、または美人じゃないからこそ宿るパワーみたいなものには、およそ気づいていなかった。
ところがキャスリーン・ターナーという女優は、それを一度に全部教えてくれたのである。
きっとただの美人女優じゃ、あんな仕草できっこない。
エリート男をその魅力だけで破滅させるという、ありがちな悪女の役を得て、いわゆる演技派の彼女は"仕草の女"にかけたのだと思う。
そうしたら女までをゾクゾクさせ、ただの美貌や、形の女っぽさで男は破滅させられないことまで、多くの女たちに気つかせてしまったというわけ。
さてもし仮に女っぽい美貌と仕草がダブルできたら、どうなるか。
シャロン・ストーンはその両立で話題になったが、両方あればあったで嫌味となるのが女っぽさ。
あざとさばかりが目について、女はもちろん男も思ったよりゾクゾクしなかったのだとか。
なぜか。
仕草の女っぽさは、形で表現しようと思っても、ダメだからである。
特に、美貌では勝負しない、頭の良さで勝とうとする女だけの特権だからである。
相手の想像力をかきたてる……この頭の良さがないなら、仕草の女っぽさを狙っちゃいけない。